人の行動が何かと気になってしまうのは、やはり一際目立った格好や行動が目に入ってくる以上はどうすることもできない。
ダンスに置き換えれば、自分の好きなタイプの踊りをしている人がいたとするならば、あんな風に踊れたらいいな〜と思いますが、真似しようとも真似ができないのが悔しいところです。どんなに説明や、テクニックを見せてくれてもその人自身と全く同じに踊れることはありません。もともとその人にしみついている個性や、生き様が違うからです。同じインストラクターが次々と入れ替わる生徒たちに同じことを教えてみても.もう全然違った踊りになっているのも珍しくありません。伝言遊びにとても似た雰囲気です。
でもその真似事も時と場合によっては感情抜きで必要な時もあります。
教科書通りに書いてあるもの、ワルツ、フォックストロット、タンゴ、クイックステップなどの基本ステップや、そのほかにもラテン系 サルサ、チャチャチャ ルンバ、パソドブレ、サンバ ヂィスコ、マンボ、など、基本からじっくりと体に教え込むダンスに関しても本に書いてある通りにとりあえず覚えるのは簡単だと思います。真似をしたらいいだけです。
ある程度基礎ステップをマスターしたらそこから自分らしさを出せる感性が少し出てきても個性的に演出されたら自分のダンスになるのでできるだけそこに近づくように自分らしさを身につけるようしたいものです。
ダンスだけに限らず、例えばファッションに例えるともっとわかりやすいかもしれません。ある素敵な女性が淡々とセンスに満ち溢れた出で立ちで歩いているとやはり目に飛び込むものがあります。
人によってはジーーーーッと目を離さず、どこの何をきているのかと探ろうとしてあらゆる角度から見渡し、それからその店に直行して全部コピーして自分のものにしてしまいます。これは本当な話で、次から次に流行化して行くので真似された人は、なんだかお店の宣伝に一役買った感じで面白くないはずです。
次の日から同じ格好をした人たちでみんなぞろぞろと街に出て個性的な人は、ほんのわずかになっているようにも思えてなりません。
でもどんなに同じ格好をして100人が100人歩いてたとしてもみんな違うキャラクターが存在するので人のコピーは絶対できないと思うので私はそこに気持ちを持っていくほうが賢いと言っています。
持ち味を生かして個性的に賢く生きていくことは、難しいようで案外シンプルです。
あまり深く考えずに自分を大事に人から入ってくる情報はいいところだけを頭に止めて、嫌な部分は聞き流せばいいのですから。
うまくどの分野の世界においても、自分らしく自分が個性的であればあるほど人は真似できないと心の余裕を持って生きて欲しいと思います。
ダンスは言葉で話さなくても体の動きで何を表現しているのかわかってくるものです。まさにボディランゲージです。
頭の動きから足の動きに至るまでの全ての動きから顔に表情が出てくるのでとても情熱的です。
喜怒哀楽を表現する様々なタイプのダンスにおいて表現するダンサーはみんな違う個性を持った人たちです。
真似をするという行動だけでもそこで個性は失われるのも当然です。
ダンスを習っているとやはり教える人の癖まで似てきたりするのを見るとなんか不自然に感じることも出てくるので、出てくる前に私は気をつけています。真似をする振りして絶対に真似しないと自分に言い聞かせるところも実はあるのです。だって自分のダンスの感性は自分にしか表現できないと思ってるからです。
真似するところは基本ステップのみです。
あとは自分のダンスを精一杯人に感動を与えられるようになったら嬉しいと思いを込めて演出しています。