言うことはとても簡単なことでそれを実行に移そうとしたりしても、どう言う意味を持つのか、そこが難しいところと考えます。
誰でも学習する時は、マニュアル文、教科書や参考書などから知識を得て、それをそのまま生活に取り入れたり人に説教したりして伝授していくケースも少なくない。
例えば新米ママが子供を産んで育児生活がスタートしたケースを取り上げて見ることにします。
新生児の赤ちゃんは3時間おきの授乳でママは夜中も起きてゆっくり眠ることもできなくなる。もう少し大きくなって離乳食の時期になると分量や種類など、あるいは作り方や、与え方など、本当に事細かく、親切に安心するように育児書には書かれている。
育児書通りに自分の子供もぴったり重なってくれたら親もホッとするのでしょうが、実際にはそう簡単にはならないのが現実です。参考にはなるので本を持っているのと持っていないとでは親としての心得が違うことは言えますが、私は自分の目で観察する行動を第一に考え、その結果、次のどうするかを判断する精神力を身につけることが一番大事であると思います。
昔の人の子育てをふと考えて見るのもいいですね。自分の母の時代、祖母の時代、そしてご先祖様の子育て、もちろんその時代は子育てのマニュアルが書いてある本などなかったと思うのですが、そう言う時代の中でもちゃんと子供を産んでしっかりと育て上げそしてそれが受け継がれて現在の私たちの時代になっているのでこういう人たちの生き様が育児書になるのだと思います。
今のこの世の中があまりにも便利すぎて普通のことができなくなっているばかりでなく、人を中傷したり、マナーが消えたりと、だんだんと人間が怠け者になりつつ、毎日の生活に嫌気がさしたりと体と心のバランスがかけ離れてくるのも当たり前になってきています。
私の周りにもそう言ったことで心を痛めたり体のバランスを崩したりして、なんとか立ち直ろうと日々自分との葛藤と戦っている光景を見ています。
心と体のバランスは、毎日の積み重ねでちゃんと保つことができるものです。ささやかな幸せを日々の生活から見つけてそこに感謝しつつ、それを毎日実行していくと気が付いた60年後は日々が幸せだったな〜と思えているはずです。
私は幸せは30年後、40年後、あるいは子供が一人立ちして親としての役目が終わった後なんて考えているのなら、実際その時がきてこれから楽しもうと言う時に、すでに楽しむ時間がなくなり、体が不自由になってどこにも行けなくなってしまった。誰も先のことはわからないのですから今日を精一杯後悔のないように生きるしかありません。人生は長いようで短く、短いようで長い。 生きることがたまに難しく、生きることは美しい。なんだか都合のいいように言っているように聞こえますが、全部本当のことです。
人の気持ちの持ち方でどうにでも違ってくるでしょう。私は“明日地球が滅びようとも今日りんごの木を植えよう思う一人です”
この自分の気持ちを文章で記事として綴ると言うことはまさにこのことが私の心のバランスを作っていると言うことになります。
教科書にも参考書にもそして人のコピーでもなんでもなくただ私独特の感性と体力で指が走っております。
こうやって自分のことぐらいは自分でコントロールすることが私の健康法にもつながります。人間って意外に孤独感を持つ必要もありますね。友達も全部が全部友達にするって言うのは自分が疲れることだって出てくるのではないでしょうか?
まずは自分をよく知り自分がどう言う状況においても人や環境に振り回されなくなったと感じると体も心も元気になっているのでその結果。周りにはいい友達も知り合いもできて。いい関係を作ることができると思います。
自分を大切にするということは体のストレッチで姿勢を改善したり腰のゆがみを戻したり、体を柔らかくしたりしていくと体が喜ぶサインを出してくれる。そうすれば心も嬉しくなり、考え方も変わって笑顔が出てくるはずです。
家の中でできる努力を惜しまず、心のバランスを養い、毎日、生き生きした魅力ある人生を歩んでいきたいですね。