懐かしいバレエの発表会の頃を思い出してみた。今は亡き芸術家の先生が発表会用にタイトルをつけてプログラムを作成していたそのタイトルをなぜか今でも覚えている。
“生きる喜び” この時のプログラムに当時発表会に出る私の写真も載っていて、子供ながらにスターになったような気分で楽しくドキドキしたことを今でも鮮明に覚えています。
今になってその先生が自分のこだわりと発想を持ち合わせ、創作ダンスに取り入れ、そして参加する一人一人の個性を大事にしながらテーマへの演出に取り組んでいたのだと思います。スタジオにはフクロウをたくさん買っておられ、ユニークな先生でしたね。ふとその当時が蘇ってきました。
こんな清くそして美しく平和な毎日であってほしいと誰もが思っているはずですが、生きていると楽しいことは一瞬にして終わり、むしろ辛いことや厄介なことの方が長続きしているように錯覚します。
日々の小さい出来事でもまるで人生これで終わらんばかりと気持ちが沈むこともありがちです。
人間は感情の生身の生き物ですから人と人が支え合ってライフを共有し、喜びは2倍にそして悲しみは半分にと理にかないますよね。
人というのに値する人は、自分の家族だったり、恩師や友達だったり、愛犬だったり、気持ちを切り替えてまた先に進まなければいけないのですから、人間をやっているのも自分を保つだけでも大変です。
“生きる喜び”に近づくために毎日のノウハウをひとつひとつ終わらせて自分なりの目標を作り、そして次のステップに繋げていく。
人の支えになるということはとても簡単なことではないと考えます。
やはりそれなりの経験を積んで身を持ってまた違う内容のことで辛い、悲しい経験をした人であれば説得力も違ってくると思います。
とはいうものの人が悲しみに立っているときなど優しい言葉をかけてもらうのはありがたいものです。
ライフを生き抜くためによりよくバランスのとれた日々が作れるように日頃からのライフスタイルに注目して生きたいですね。
人がこの世を去ったとき、あたかも自分が知っている人ならば気持ちは動揺します。最近、そういう出来事がありました。ちょうど外国での生活だったので連絡を受けてもどうすることもできませんでした。まずは、ろうそくを用意してただ祈りました。
そしてその方との関わり方を振り返りとても自分が辛かった思い出も一緒に重なり遠方だったこともありただ冥福をこちらから捧げた形で終わりました。
私の母が今よりもっともっと元気な頃、こんな話をしてきました。
今、この地球に100人いたとしても100年先には誰もいない。(日本は長寿国ですから例外もありますが、)母が私に言いたかったことの意味はおそらく、生き物は必ず終わりが来ると言うことだったと思います。
なんか人生ってあっという間なんだとその時は漠然と思ったものです。
母が言うには自分が1回目に倒れて意識がない時、夢を見ていたそうなんですが、その夢が母の両親やらその時すでに亡くなっている人たちが出てきて川の向こう側に立っていて母が嬉しくてそちらに向かおうとする行動に対して祖母がまだまだ来るのは早いから帰りなさい。と言ったと後になって私に話しをしてきました。
こんなことって本当に存在するんだと言うのが私の感想でしたね。
母は今も兄夫婦と安全に過ごしていますが、いつまでも長く生きてほしいと心から思っています。
私たちの命はご先祖様からあってのものです。できるだけ争いのない円満で人を傷つけることがない人間関係であってほしいと心から願うばかりです。
今できることを大いに活用して悔いのない一日を続けていく。
楽しむためにできることは日常の中からいつでも見つけることはできますから。
生きる喜びも悲しみも含めてこの世の中が平和で笑顔が絶えないようにして生きたいものです。