日本の学制は6.3.3制となっており、小学校6年間、中学校3年間は義務教育となっています。ほとんどは高校へ進学して教育機関としています。
大学進学は将来の仕事に直結するための専修学校に進む人が増えているとも聞いいています。
とはいえ日本はとにかく学歴社会なので勉強についていけなくなると周りの目を気にすることも出てきます。私の学生時代はまさに勉強しない人は落ちこぼれ的な世間の考えが最高に達していました。
今を振り返ると、将来の希望する職業など決めて大学に進むという考えがまだできておらず、自分が何をしたいのか、どうなっていくのかもわからない年で決めることすらできなかった時期、つまり将来に対しての不安がいっぱい詰まっていたのでただどこでもいいから大学に進学しようというだけで、理系の道を選んだのです。親の意見には忠実に口答えをあまりしなかったと思います。
日本で生きていくためにはこの流れに乗っていくには勉強していい大学に入り、希望する会社に就職して高額な給料を得る。そして幸せな出会いをして家庭を作り、それを次の世代に伝えてさらに家系にさらなる磨きをかける。日本の教育では私はこんな風に話をすることになります。
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外国の教育事情はいろんな分野で異なります。小学校、中学校は同じようにそのまま進級していきますが、高校からは自分の興味のある分野に枝分かれしていくのです。例えば、数学が嫌いで計算などの数字を見たくないと思ったら、あっさりと諦めて音楽や美術などのコース、宗教に関するコースや、リーダーシップに関するコース、国の歴史に関するコース、算数は嫌いだけれども高校で必修科目のサイエンスから生物、物理、化学から2つ、英語の必修、そして国によっては教育事情も異なりますが、こちらの高校の単位の取り方などは日本では大学のコースを決める感覚と少し似ています。そして高校を卒業するまでの間にボランティアを最低時間40時間必要であることなどが挙げられます。
ここの部分は日本の教育にはありませんでした。
私が高校時代の時は外でアルバイトすらことはとんでもなく、その時間があるのならガムシャラに勉強をすることに専念しなければいけなかった時代です。
奉仕活動も学校の授業の中で学生に体験させることで社会に出た時に自然と遭遇するあらゆる環境に立ち向か得るようになっていくことも目的の一つだと思います。
小学生の時からスピーチの機会をたくさんあり、みんな個人の意見を主張することがこういうところから身についてくるわけです。
子供はこれからの将来性をいっぱい秘めて生まれてきます。両親をはじめ、周りの大人たちが子供達を支えています。
例えば、精神的に学校に行きたくない子供達に対して、あるいは学校内で勉強などに不安を感じていたとしても、学校内にカウンセリングを設けてあるので、そこでちゃんと親身になってヘルプをしてもらえる。
心と体のバランスを取れず気持ちが沈んでいる人たちを国はサポートする体制を作っています。精神医療ともいうのでしょう。必要があれば安定剤をドクターが出して精神を緩和したり、少しずつ改善に向かっていけるのです。
カウンセリングに通う学生は少なくありません。きっと物事を真剣に考えてすぎてストレスになったりすることもあるのかもしれません。
日本で育ち日本の教育をどっぷり経験している私にとっては、教育事情があまりにも違い、違和感を覚えました。
日本の窮屈なやり方でうまくいかなかったらその人が悪く思われる、世間からはちょっと離れた孤独感を感じるのに対して、学生には学生の言い分があるかのごとく、ストレス、人間関係に触れて積極的に自分を主張してその主張に対して、周りの大人たちが温かい目でその解決の糸口を掴んで行こうとする教育事情に感心するばかりです。
密かに私、一人で頑張りすぎたかな。と少し反省中です。でも何もかも自分で頑張ってきたことは誇りに思うし、これからはペースを少しずつ落としていばいいだけなので楽しみです。
視野を大きく持つことはとても大切なことです。バランスをとりながら無理しない程度に頑張りましょう!