初めてダンスをした頃を振り返ってみることにした。今のダンスライフとして淡々と言えるのも母のおかげだと感謝しています。私がまだ幼かった頃、とても内向的でした。きっと今思うと、家庭環境にもあったのかも知れません。子供時代を取り戻したい心境ですね。
小学校の授業参観日に母が来たことによりそんな時に限って担任の先生が私を名指してそれに対しての私の対応の仕方を母がしっかりと見ていたのです。
母は、私の声が虫の鳴く声より小さくてとても恥ずかしかったといいたのを覚えています。
これではいけない、何かもっと子供らしく元気にそして積極性を持つようになるために何がいいかと。。それが*モダンバレエ*
普通は自分の意思でこれを習いたいとか言うのでしょうが、私の場合は、必要だったので習うことになったわけです。
ダンスだけではありませんが、ダンスライフと題して記事を書いていることと、唯一このダンスは日々の生活と重なる部分がほとんどなので私にとっては大切なライフになっています。
人間の頭はとても賢こいもので、本を読んでわかった。理解できてると思い込み
実際にその通り体を使ってやってみるとそううまくいかないのである。
結局全然わかっていなかったことになる、嫌な言い方をすればわかったふりをしていただけに過ぎない。
体は正直なので頭で考えたものをそのまま体に伝えてても体は言うことを聞いてくれない。と言うことは、体に聞いて体の動きを感じながら体から頭に伝達されていって初めて一つの動きが完成するといことにたどり着く。
これを理解するまでには自分が体験しなければお話になりません。口で言うことは簡単ですし、体が口で言う通りにはなかなか動いてくれません。体は繋がっているのに、体の動きに逆らって頭の動きが付いてきます。
ある日のレッルスンの内容が頭の向きを左から右にそして右から左にと向きを変えると言うものであり、こう言う風に言われると言葉通り言われた通りやってみるとそれなりにはできるのですが、すごく首に負担をかけてうまくいきませんでした。
私が体と一体化して頭を動かしていなく首を後ろに下げながらの移動で無駄な力とバランスも崩してしまうとことになってしまったのも事実です。
体が言うことを聞いてくれないとはこう言うことです。
とりあえず頭の知識より体に正しい感覚を取り入れる訓練を叩き込むしかないと今では強く思います。
教える人は自分なりの教え方をするので自分がこんな風にあの人みたいに踊れたらいいと言う目標人物があればその人に指導を受けたらいいと思います。ちょっと言い過ぎかも知れませんが、教える人のスキルもピンからキリまであります。自分の好きなやり方で教える人を選んで自分の納得のいく楽しいダンスレッスンになって欲しいと思ってます。
ちなみに私は随分教える人を変えて来ました。
理由としてはその時の状況に応じて教える人が変わっていったと言うことが一番大きな理由になりますが、その他の理由としてはやはりスキルの問題にギャップを感じて、そしてビジネスすぎた環境からはできるだけ離れたかったこともありましたね。社交ダンスは金銭的に安いスポーツではありませんので、個人レッスンに関しては特に高いレッスン料を払わなければならないので尚更のこと教えられる人の立場が強く、しっかり教えてもらうように、そして生きたお金を無駄に使うことがなかったと思いたい。自分のために使うお金と時間を充実したものにしたいと言う気持ちは強く保つべきだと思います。
私の経験上、お金は払ったもののなぜか楽しくない、理解できなかったと、時間だけ使ったと。。これじゃやはり自分にあった人から習うのが一番だと、マナーをもって変えたこともありました。
プロのように踊れるテクニックを身に付けたい。これが私のゴールです。