こんなに可愛い日本でお留守番の愛犬キャンディーの写真が届きました。
この一枚のおかげで今日一日がとても幸せ気分です。
渋谷駅の忠犬ハチ公物語は今でもなおみんなの心に感動を与え人々が待ち合わせ場所として利用されている。
最近のこちらのニュースには、捨てられた犬が溺れかけている少女を救ったというニュースはとても心が動揺するものでニュースに取り上げられたほどでした。
心の支えになるぐらいの大きな役割を持っています。
飼い主に忠実であり顔もそっくりになるという考えを持つのは私だけでしょうか?
飼い主に顔が似てくるのは毎日、寝起きを共にして感情の起伏も犬の吸い取り一心同体となってライフに取り込むからでしょうか?
自分で書いていながらもおかしくて吹き出しそうになりますが、現に私にも犬がいるので、とても興味津々といったところです。
小さい時から家には繋がれっぱなしの犬がいました。番犬用に買っていたのかな?と今では思いますが。それでも子供時代にいた犬は、チロ、クロ、リリー、と覚えている限りでは名前も知っていました。ご飯お世話はお手伝いの方が担当でしたので私たちはお散歩など気の向いた時にするぐらいでした。にもかかわらず犬を飼うことで情操教育は心に宿っていると思います。
情操教育はどういう風に養われていくのかと改めて考えてみると、私の場合は両親の行動からともちろん犬を飼っていたということで犬私が関わる行動にも大きく関与していると思います。
悲しみや楽しさをいっぱい知っている人は自然と人を理解しようという気持ちがあるでしょう。楽しさを知らず子供時代を過ごした人に対しては、自分で率先して楽しさの愉快さをリードしてあげられるでしょう。
子供時代の過ごし方経験は大人になっても心に染み付いているものです。
私の子供時代はとても窮屈で、子供の特権である元気よく学べ、遊べなかったような記憶があります。全部が全部というわけではありませんが。
早く自分で自立がしたいと大人の仲間入りを待ちに待っていました。
どの時代でもなにやかにやと不平不満は出てくるものですが、そういう過程を通じて情操教育は行われているんですね。
理想としては、子供時代は子供らしく元気でいっぱい遊びをしてなんの心配事もない状態で一生懸命に勉強していっぱい睡眠をとり、そして美味しいものもいっぱい食べる。おじいちゃん、おばあちゃんに成長を届ける。などなど、特にこれといった内容ではないかもしれませんが、これが子供の時代にしておかなければいけないと絶対に思う時がくるのです。
子供は親にとっては宝です。その宝を台無しにしないように親も子から学ぶこともたくさんあることを忘れてはいけないと思います。
今日のキャンディーの一枚の写真んを見て、自分の子供時代に振り返ることができてキッチンではりんごのマフィンと抹茶ハニーの食パンを焼き上げました。
時間をかけながらじっくりオりジナルのマフィンやパンを焼き上げて、あっという間のひと時ですが、とてもリラックスした時間をキャンディーの写真と一緒に味わっています。
こういう気持ちをいろんな場面で出せるといいと思います。
人間関係では一旦人が嫌いになると、修復するのに時間もかかったり、一生取り返しのつかない関係になったりと心が痛む今日この頃ですが、少なくても自分の周りにいる人たちとは争いもなく、平和でお互いを尊敬できる関係でいたいものです。
小さかった頃の私のか細い声に母が心配してバレエを習わせてくれたことで体で表現することから始まり、積極性をダンスという明るさへ繋がるように導いてくれた母には今でもありがとう!!と言っています。また近いうちに会いにいきますよ。最近が認知症も少し出てきたと兄から聞いていますが、名前を忘れたとしても私が母を覚えている限り、それも大丈夫。キャンディーも目は見えてなくても感覚で私のことはわかっていると思うから大丈夫。
また日本に戻ったら会いにいきます。